水石とは, What is Suiseki
水石とは
水石とは日本古来から伝わる石を鑑賞する文化です。
平安時代末期から鎌倉時代にはもう既に石を鑑賞する文化があったといいます。
水石でなくとも、例えば石の灯籠やつくばい、そして庭石などを考えるといかに石というものが我々日本人の生活に密接にかかわりあってきたかということを考えないわけにはいきません。 もっと昔、太古の時代には磐座(いわくら)といって岩が信仰の対象であったことも忘れてはならない事実です。
さて話を戻して水石。水石と書いて「すいせき」と読みます。
水石という名称の由来について、実は正確なことはよくわかっていません。
ある説によると、石を鑑賞する際に水をかけるからといいますし、別の説では山水景といって石のなかに自然(山、水(川)の景色)をみるからともいいます。
または、水石のほとんどが川の石(水の石)であることも関係しているのかもしれません。
個人的には、山水景より川の石より、意味するところの範囲が大きい水をかけるからという説を支持したいところです。 山水景でない水石もありますし、海石の水石もあります。 水をかけて鑑賞すれば水石だというのは水石の意味を狭めるものではなく、鑑賞の一手法を提案しているだけと捉えれば世界が広がる気もします。 といいつつ、そうであれば山水景も川の石も、水石の一カテゴリーをいっているだけとも考えられるので、それほど水をかける説に固執しているわけではありません。
いずれにしても、水石という名の由来について確固たる説はありません。 それと同じように水石の確固たる定義もないように思います。
この石は水石だけど、あっちの石は水石ではないとはいえないのです。 私はそれはそれでよいと思っています。何故なら水石は感じるものだと思うからです。
そんな曖昧な一面のある水石だからこそもっと愉しめる要素があるようにも思います。
私はこのサイトで、水石を学び、どう理解したかについて記していきたいと考えています。
最初は日本の水石を世界の方に紹介したいという思いで英語版のサイトを作ったことがきっかけでしたが、素晴らしい水石の文化をもっと日本の若い方にも知ってもらうのも一興だと思ったからです。
とはいっても私も一から水石を学んでいる一シロウトですので、ときに間違うこともあると思います。 でもそれはそれでいいと考えています。 大切なことは自分の言葉で、どう自分が水石を感じたかということを、ただのシロウトの一意見として記録に残せれば十分だと考えているからです。 だって、水石という言葉自体曖昧なものなのですから(と、いい訳をいってみたりする)。
水石の条件
水石は概ね以下のように分類されます:
- 【歴史による分類】
- ・由来石(歴史的に意味のある石)
- 【形による分類】
- ・山水石(自然の山、島などを連想させる石)
- ・抽象石(抽象的な形の石)
- ・姿石(観音様、人、動物などを連想させる石)
- 【色による分類】
- ・色彩石
- 【紋様による分類】
- ・紋様石
もちろんこれ以外にも産地による分類、肌合いによる分類、特徴による分類など様々な方法で分類することができます。
山水石も姿石も、その形から何かを連想するという意味ではある意味抽象石といえなくもないのですが、抽象石はもっとディーテールが削ぎ落され、デフォルメされたものです。
では水石になる石の条件は何かというと、ひとつには「水石は室内で鑑賞されるもの」が故、サイズは30cm~60cmといわれます。
しかし、これは床の間に水石を飾っていた時代の話だと私は考えています。
今の時代、床の間のある家はそうそうありません。 一方で、大豪邸であれば室内鑑賞用とはいっても、もっと大きな石の方がよい場合もあるでしょう。 ですので、概ね60cmくらいまでが適当なのでしょうか。それを超えると室内というより庭石として庭に置いた方が見栄えもよさそうです。
もうひとつの水石の条件は、加工されていないこと。水石は「よくもまぁ、自然にこんな素晴らしい石ができたものだ」と自然の妙を愉しむものなので、人が手を加え加工したものは基本推奨されません。 そこが水石と人の手による作品(彫刻)を隔てる一線です。
とはいえ、底を切るくらいはまぁ大目にみましょうとしているところもあるようです。 底切り石については様々な見方があるのでここでの説明は割愛しますが、一般にはまったくの自然石に比べれば、底切石は価値がひとつ下がるともいわれます。
最後の条件は、その石から何かを感じるということです。
これが最も重要な条件といえるでしょう。
素晴らしい石からは何ともいえない「何か」を感じるものです。
この一点だけで、例えその石が一般的な水石のカテゴリーに収まらなくとも、私はそれを水石といって差し支えないと考えています。
それほど素晴らしい石であれば、飾って愉しむことに誰の許しが必要でしょうか、何の躊躇がいるでしょうか。